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音楽教室 vs JASRAC 最高裁判決

世間の注目を集めていた音楽教室とJASRACで争われていた著作権料の支払いを巡る裁判、今月、最高裁が判決を出しました。報道各社から一斉に報じられたので、皆さんもきっと目にされたことでしょう。

ネットなどを見ると「音楽好きな子供たちをいじめる悪者JASRACを成敗!」的なコメントも散見されます。確かに、一般的な感覚からするとそのように感じる向きが多いのかもしれません。一方で、作詞家・作曲家のためにはJASRACのような役割も必要です。

では、最高裁はどのような判断を下したのでしょうか。判決のポイントを眺めてみましょう。

今回の争いで焦点となったのは、著作権法 第22条(上演権及び演奏権)の解釈です。

「第二十二条 著作者は、その著作物を、公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として(以下『公に』という。)上演し、又は演奏する権利を専有する。」

ここで、JASRACは著作者(作詞家や作曲家)から楽曲の管理を任されているので、条文の著作者をJASRACと読み替えることができます。つまり、JASRACは楽曲を上演したり、演奏したりする権利を専有しているので、JASRACが管理する楽曲を上演したり、演奏したりしたければJASRACに許可を取らなければならないというわけです。

JASRACがこれに基づいて音楽教室に著作権料を求めたのに対して、音楽教室側が「楽器の練習などの目的で演奏しているのは生徒であって、教師はその手助けをしているに過ぎない(ので著作権料の請求はおかしい)」として争っているのが今回の事件です。

つまり、この裁判の一番の争点は「(著作権法を解釈するうえで、)演奏をしているのは誰か?」でした。

では、最高裁はどのような判断をしたのでしょうか?最高裁は、「生徒の演奏は、演奏技術の習得・向上のために行われるもの」であって、「教師による課題曲の選定や指示・指導は助力にすぎず、生徒は、あくまで任意かつ自主的に演奏するのであって、演奏することを(教師に)強制されるものではない」と判示しました。

つまり、「音楽を演奏しているのは生徒であって、教師(音楽教室)が生徒に強制的に演奏させているわけではないのだから、教師(音楽教室)に著作権料を課すことはできない」としたわけです。

これは、JASRACの主張を封じるもので画期的といえます。その一方で、課題も残ります。

まず、最高裁判決では教師が演奏する場合については判断していませんが、この点は、過去の最高裁判決(スナックで客がカラオケで歌った場合、一定要件のもと、スナックも楽曲を上演・演奏したとみとめられる)に準ずる扱いとなるでしょう。つまり、JASRACは、教師の演奏については著作権料の支払いを求めるでしょう。さらに、JASRACが直接生徒に著作権料を請求するならば問題ないのかといった疑問もあるかもしれません。

今回の最高裁判決は、現行の著作権法の枠組みでは妥当な判決と考えますが、一方で、著作権法には、文化の発展のため著作者(権利者)を守るといった役割もあります。バランスを考慮すると法律の見直しも含めて議論の余地があるのかもしれません。

 

(メルマガ「IPビジネスだより 2022年10月号」から転載)